2007年10月09日

『に』

瀬谷歴史かるた『に』


新田勢の鎌倉攻め (瀬谷町5930付近一帯=細谷戸)

元弘3年5月17日(1333年)上州生品(いくしな)明神(群馬県)で旗揚げした新田左中将義貞は破竹の勢いで北条軍を撃破して、北関東の兵力をまとめて武蔵野を一気に南下した。
世野ヶ原(今の瀬谷)で鎌倉攻めの陣揃えをして攻撃をしかけ、21日に北条勢はついに滅亡した。
太平記には、新田軍の勢力のその数20万7千とあるが、多分に誇張であり、その威力をしめしたものであろう。
(出典 瀬谷歴史かるた)


新田義貞と言えば、稲村ヶ崎で黄金の太刀を海中に投じると潮がひき、鎌倉に攻め入ることが出来たという伝説まで出来た武人。
上記の日付はちょっと間違い(17日から21日まで4日しかない)かと思われるが、いずれにしてもごく短期間で鎌倉幕府を滅亡に至らしめるには、天の時、地の利がないとだめだろうね。


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